子どもが転んで膝をぶつけたとき、私たちは自然に、その場所に手を当てます。
「痛かったね」
そう言いながら、痛いところに手を置く。
それだけで、不思議と少し安心する。
本当は、心の痛みにも同じことが必要なのかもしれません。
ところが、心の傷には困ったことがあります。
どこが痛いのか、見えないのです。
「何も感じません」
心理療法をしていると、こんな場面に出会うことがあります。
明らかにつらい出来事を語っているのに、
「別に、何とも思っていません」とクライアントが言う。
怒って当然の出来事なのに、怒りがない。
怖かったはずなのに、恐怖を感じない。
悲しいはずなのに、涙が出てこない。
でも身体は緊張している。
眠れない。
突然、昔の光景がよみがえる。
人の顔色に過剰に反応する。
何かが起きると、身体が勝手に身構えてしまう。
「痛い」はずなのに、どこが痛いのかわからない。
それが、トラウマ臨床の難しさの一つでした。
誰も、痛いところに手を置いてくれなかった。
「セルフネグレクト」について考えていると、一つのイメージが浮かびます。
小さな子どもが傷ついている。
本当は怖い。
本当は悲しい。
本当は腹が立っている。
本当は、
「こっちを見て」「私の気持ちに気づいて」「ここが痛いよ」と言いたい。
でも、その痛みに気づいてもらえない。
「そんなことで泣かないの」
「気にしすぎだよ」
「あなたにも悪いところがあったんじゃない?」
そうやって痛みが扱われないままになると、
やがて子ども自身も、自分のどこが痛いのかわからなくなる。
痛みが消えたわけではありません。
ただ、痛い場所に手を置く人がいなかった。
そしていつしか、自分自身もそこに手を置かなくなってしまう。
それが、セルフネグレクトの一つの姿なのかもしれません。
では、見えない心の傷に、どうやって手を置くのか。
FAP療法は、そこから始まったとも言えます。
2001年、大嶋信頼らはPTSDの治療を目的としてFAP療法(Free from Anxiety Program)を開発しました。
その背景には、現代催眠との出会いがありました。
大嶋が吉本武史先生から現代催眠を学ぶ中で興味を持ったのが、
観念運動応答法でした。
意識で答えようとしなくても、身体に微細な運動として反応が現れることがある。
そこで一つの問いが生まれます。
「本人がわからなくなってしまった心の痛みを、身体は知っているのではないか?」
クライアントが気づくより先に、治療者の身体が反応した。
PTSDの臨床をしていた大嶋には、奇妙に感じられる経験がありました。
クライアントがトラウマ体験を語っている。
本人には、怒りがない。
ところが、その話を聞いている大嶋の胃が痛くなる。
そしてセッションが進むと、やがてクライアント自身から怒りが現れてくる。
「もしかすると、この人は怒りを感じていないのではない」
「意識できないだけで、身体のどこかでは感じているのではないか」
と考えるようになります。
そしてさらに、
治療者側に生じる身体感覚も、クライアントとの相互作用の中で生じる共感的な手がかりとして利用できないだろうか、と考えました。
大嶋は当時、この現象をミラーニューロンなどの概念とも関連づけながら仮説化していきます。
そして、現代催眠で学んだ観念運動応答法を応用してみました。
手を振ると、指が反応した。
クライアントから見えないところで、治療者が手を振ってみる。
すると、語られている内容によって、治療者の指に微細な反応が現れることがありました。
さらに臨床を重ねていく中で
「このような訴えのときには、このような反応が現れることがある」
というFAP独自の臨床的パターンが蓄積されていきました。
ここで大切なのは、
指で病名を当てることではありません。
そうではなく、
本人自身にも見えなくなってしまった痛みに対して、治療者が、
「ここが痛かったんですね」
と共感するための手がかりを得ることでした。
見えない心の手を、痛みの場所に置く。
初期には、治療者が身体反応を手がかりとして、
「怒りがあるのかもしれない」「怖かったのかもしれない」「見捨てられる不安があるのかもしれない」
と共感していました。
しかし、ここには一つの問題がありました。
どんな言葉を返すのか。
どのタイミングで返すのか。
そこに治療者の経験や技量が大きく影響します。
そこで、さらに発想を変えました。
言葉にしなくても、共感することはできないだろうか。
治療者に現れた指の反応を手がかりとして、クライアントと治療者が一定の順序で爪の生え際に刺激を加えていく。
すると臨床上、経験の浅い治療者でも、トラウマに関連した苦痛にアプローチできるケースが見られるようになりました。
この身体への働きかけを、私はこんなふうにも表現できると思います。
見えない心の手で、痛みの患部にそっと手を置く。
「痛かったね」と言ってもらえなかった人へ。
トラウマを負った人の中には、
あまりにも長い間、自分の痛みを無視してきた人がいます。
苦しいのに働く。
疲れているのに休まない。
傷つけられても「私が悪かった」と考える。
人には優しくできるのに、自分には優しくできない。
身体が悲鳴を上げているのに、それでも自分を働かせる。
それを単なる「自己肯定感の低さ」として片づけると、見えなくなるものがあります。
その人はもしかすると、
自分の痛みにどうやって手を置けばいいのかを、知らないだけなのかもしれない。
なぜなら、かつてその痛みに手を置いてもらえなかったから。
FAP療法が目指してきたこと、FAP療法が扱おうとしてきたのは、
本人が上手に説明できる苦しみだけではありません。
「わからない」
「何も感じない」
「たいしたことではない」
と言いながら、
身体のどこかでは反応し続けている苦痛。
言葉になる前の痛み。
感じることさえできなくなった感情。
そして、自分自身からもネグレクトされてしまった心の傷です。
それを無理やり掘り起こすのではなく、
身体に現れる反応を手がかりにしながら、
「ここが痛かったのかもしれない」
と、その場所に心の手を置いてみる。
そこからFAPの臨床は始まります。
FAP療法 初級コース
このコースで学ぶのは、単なる「指を押す技術」ではありません。
見えない心の傷を、どう見つけるのか。
言葉にならない感情に、どう共感するのか。
クライアント自身さえネグレクトしてしまっている痛みに、治療者はどう寄り添えるのか。
そのために、FAP療法が約25年にわたって積み重ねてきた臨床的な考え方と、基本技法を学びます。
心理療法とは、痛みを消すことだけではない。
もしかすると、ずっと誰にも気づいてもらえなかった場所に、
初めて誰かが手を置いてくれることなのかもしれません。
「ここだったんですね」
「ずっと、ここが痛かったんですね」
言葉にできなかった痛みに、見えない心の手を置く。
すると、ずっと一人で抱えていた心と身体が、
ようやく、「わかってもらえた」と反応する。
FAP療法は、その瞬間を大切にしてきた心理療法です。
見えない心の手を、
まだ言葉になっていない痛みの場所へ。
FAP療法 初級コースの詳細はこちら